クラブ紹介


 クラブ幹事から「当クラブ結成当時の思い出を書いて欲しい」と言う要請をうけましたので、微かな記憶を辿りながら結成当時の様子と、折角の機会ですから、在籍50年についての私の「思い」を述べてみたいと思います。
 記録によりますと当クラブが結成されましたのが1963年(昭和38年)、結成式が4月23日、認証状伝達式(チャーターナイト)が6月30日ですが、この間わずか70日足らず、今考えてみても「こんな短期間に結成から伝達式までによくやれたなぁ」という感じがいたします。時のガバナーが自分の任期中に新クラブを作りたいという希望もあって急いだと聞いております。当時私は33才と数ヶ月、年齢では下から数えて3番目、唯々皆さんの後ろからついていったような気がしております。
 初代と二代目の会長が守川成太郎L.(現在のトランシイ、当時の四日市倉庫専務)幹事が吉村一雄L.(当時日立の代理店を経営)、でした。この幹事さんは陸土出身の方で、式典に於いてメンバーの入場の仕方や壇上での立位置の説明などで、時々軍隊が使う用語や、また黒板では軍隊式記号を使用しながら、きびきびと話をされていた記憶があります。三代目の会長渡辺正敏L.(中部飼料の社長)四代目の会長村木三雄L.(四日市豆粕の社長)五代目の会長杉本由松L.(四日市海運の社長)と皆さんが四日市を代表するような方々でありましたのでこのクラブに入れて頂いたのが何となく誇りのように思えてなりませんでした。
 結成式は確か当時の商工会議所(現在の場所)、認証状伝達式は現在の市庁舎に隣接している市営駐車場の場所に建っていた当時の市民センターに於いて行われました。私はこの認証状伝達式で舞台の降り口の近くで、タスキをかけチャリチイボックスを持って立っていた鈴木辰良L.(東邦鋼機の社長)の横で、ドネーションを入れてくれる他クラブの会員の方にお辞儀ばかりしていたような記憶があります。
 前述の通りチャーターメンバーの殆どの方は私共若手を除けば四日市を代表するすばらしい人でしたがまた個性豊かな方々もおられました。長く同名委員長を勤められたお酒が好きで愛嬌がある伊東直作L.(大東電気社長)や「一寸一言(チョットヒトコト)」の前置きで発言された笑顔のよい堤喜一L.(堤セメント社長)おとなしく真面目一徹の初代会計の吉田礼三L.(浜松茂社長)など思い出せば切がありません。
 ところで私は当クラブに50年在籍させていただいておりますが途中で退会しようと思ったことがありません。またそれほど長く在籍したという印象もありません。それには三つの要因があると思っております。先ず60年以上交友のある藤原和夫Lを始め、その後入会された若手会員の皆さん(現在では皆さんそこそこの年齢になられておりますが)と親しくしていただいてきたこと、その後クラブの幹事、会長、キャビネット幹事、地区会則委員長、複合地区会則委員等を仰せつかって、会員の皆様に色々なことをお願いする立場に立ったこと、当クラブは四日市クラブのスポンサーにより結成されましたが、その四日市クラブのスポンサーである大阪南クラブに、私が松山経専の学生時代から今でも親交のある同級生が二人在籍していることに何か因縁のようなものを感じたこと等です。
 以上幹事のご要望には充分お答えすることは出来てはおりませんが、最後に当クラブの益々の繁栄と会員各位のご健勝、ご多幸を心から祈念して終わらせていただきたいと思います。